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名古屋地方裁判所 平成4年(ワ)3766号 判決

原告

泉栄子

右訴訟代理人弁護士

水野幹男

渥美玲子

平松清志

荻原剛

被告

布目正夫

右訴訟代理人弁護士

大山泰生

右訴訟復代理人弁護士

松波克英

右訴訟代理人弁護士

安田佳子

主文

一  被告は原告に対し、金三四八万五〇六八円及びこれに対する平成三年六月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は一〇分し、その六を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  原告の請求

被告は原告に対し金一〇七一万円及び内金一〇〇〇万円に対する平成三年六月七日から、内金五九万五〇〇〇円に対する平成二年七月一〇日から、内金一一万五〇〇〇円に対する平成三年二月二三日から各完済までそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  被告は布目組の名称で、電気工事の請負、主として名古屋鉄道株式会社の架線工事等の請負を業としてきた者である。

原告の夫である泉純勝(以下「純勝」という。)は被告の従業員として電気工事に従事していたが、(一)平成二年四月一七日から同年六月二九日まで七九日間と、(二)平成三年一月八日から同年一月三〇日まで二三日間の二回に亘り愛知県済生会病院に胃ガンの治療のために入院し、平成三年五月四日胃ガンにより死亡し、原告が純勝の妻として同人の権利義務を相続した。

2  被告は純勝を被保険者として、昭和六一年八月二五日安田生命保険相互会社(以下「安田生命」という。)との間においていわゆる「定期付養老保険契約」を締結した(以下「本件保険契約」という。)。

本件保険契約には傷害特約、疾病入院特約の各特約が付加されていて、右特約による給付金は以下のとおりである。

(一) 入院給付金 一日につき五〇〇〇円

(二) 手術給付金 二〇万円

本件保険契約の保険金の受取人はつぎのとおりである。

(一) 満期保険金及び死亡保険金被告

(二) 傷害特約の災害保険金 主契約の死亡保険金の受取人(被告)

(三) 高度障害保険金 被保険者(純勝)

(四) 疾病入院給付金 被保険者(純勝)

3  被告が安田生命から受領した保険金・給付金はつぎのとおりである。

(一) 死亡保険金

平成三年六月六日に 一〇〇〇万円

(二) 増加保険金

右同日に 八万九〇〇〇円

(三) 積立配当金

右同日に 一万六四〇〇円

(四) 入院給付金

合計 五一万円

(1) 平成二年七月九日前記1(一)の入院について 三九万五〇〇〇円

(2) 平成三年二月二二日前記1(二)の入院について 一一万五〇〇〇円

(五) 手術給付金 平成二年七月九日に 二〇万円

合計 一〇八一万五四〇〇円

4  本件保険契約締結に先立ち昭和六一年八月五日、純勝と被告との間において「生命保険契約付保に関する規定」と題する文書によって、本件保険契約に基づき支払われる保険金の全部又はその相当部分は、退職金又は弔慰金として支払う旨の合意がなされた。

右合意は、被告に退職金規定又は弔慰金規定が制定されていれば退職金又は弔慰金に充当するものとし、退職金又は弔慰金規定が制定されていない場合は当該保険金額は退職金又は弔慰金として遺族に支払う趣旨と解すべきところ、被告には退職金規定、弔慰金規定はないので、被告は本件死亡保険金を退職金又は弔慰金として遺族である原告に支払う義務がある。

5  仮に、右文書が本件保険金を被告に支払うことを直接的に合意した文書でないとしても、純勝が本件保険契約の被保険者となることを同意するに際して、被告と純勝との間では、本件死亡保険金を死亡退職金もしくは弔慰金として支払うとの合意がなされた。

6  仮に、「生命保険契約付保に関する規定」が被告と従業員との間の個別的な合意文書でないとしても、右文書は明らかに従業員の労働条件を定めた文書であり、事業所内の労働条件を定めたものとして、労働基準法第九章に定める就業規則としての効力を有するから、事業所内に退職金規定あるいは弔慰金規定が存在しない場合には右文書が右規定に代わるものとして退職金規定又は弔慰金規定と同一の効力を有し労働契約の内容となっているものと解すべきである。

7  仮に、本件保険契約の保険金受取人の指定が、死亡保険金の全額を被告に帰属させるものであるとすれば、右保険金受取人の指定の合意もしくは被保険者の同意は、公序良俗に反し無効であり、この場合保険金の受取人は被保険者の遺族と解すべきである。

しかるに、被告は純勝の死亡によって支払われた保険金を法律上の原因なく不当に利得している。

8  前記のとおり、本件保険契約に基づき支給される入院給付金及び手術給付金については被保険者である純勝が受取人であり、被告は自己に権利がないことを知りながら、本件保険契約に基づき支給された入院給付金五一万円、手術給付金二〇万円合計七一万円を受領して法律上の原因なくして不法に利得している。原告は、純勝が有していた右不当利得返還請求権を相続した。

9  よって、原告は被告に対し、以下の金員の支払を求める。

(一) 純勝と被告との間の前記合意ないし労働契約に基づき(予備的に、不当利得返還請求権に基づき)死亡保険金相当額一〇〇〇万円及びこれに対する被告が右保険金を受領した日の翌日である平成三年六月七日から完済まで年五分の割合による遅延損害金

(二) 不当利得返還請求権に基づき入院給付金及び手術給付金合計額七一万円及び内金五九万五〇〇〇円に対する平成二年七月一〇日(被告が右給付金を受領した日の翌日)から、一一万五〇〇〇円に対する平成三年二月二三日(前記と同じ日)から各完済まで年五分の割合による遅延損害金

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1は認める。

2  請求の原因2のうち、被告が純勝を被保険者として、昭和六一年八月二五日安田生命との間で本件保険契約を締結したことは認め、その余は明らかに争わない。

3  請求の原因3は認める。

4  請求の原因4は否認する。被告の仕事はその性質上危険を伴い、労働災害の補償のために倒産する危険があると思われたので、被告はその対策として、従業員に生命保険を掛けたものであって、本件保険契約は労働災害の補償を目的としたものである。

5  請求の原因5は否認する。

6  請求の原因6は否認ないし争う。

7  請求の原因7は否認する。

8  請求の原因8は否認する。入院給付金及び手術給付金は純勝名義の銀行預金に振り込まれたが、被告が純勝の治療費を全額負担していたため、原告は被告が右給付金を取得することを承諾していた。

9  請求の原因9は争う。

仮に、被告が原告に対し本件死亡保険金の支払義務があるとしても、本件保険契約の保険料として支払った八〇万六八三五円、保険金に関する税金(一時所得税)として納入した一九七万九五〇〇円は控除されるべきである。

三  抗弁

1  被告は純勝の葬儀に際し原告に香典五万円を出している。

2  被告は原告に対し以下の債権を有するので、右債権を自働債権とし原告主張の債権を受働債権として対当額において相殺する旨意思表示をした。

(一) 被告は純勝の治療費一三七万一四二八円を立替払いした。高額医療費の払戻金六五万二四六二円を差し引くとしても、純勝に対し七一万八九六六円の求償債権を有していたところ、純勝が死亡し原告が右債務を相続した。

(二) 被告は純勝の葬儀関係費用(香典返しを含む)一一二万五〇七一円を立替払いしたので、被告は原告に対し右立替金の求償債権を有する。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1は認める

2  抗弁2(一)は否認する。被告が立て替えた治療費は一三五万一四二八円であり、また、被告が支払を受けた高額医療費払い戻し金は七九万六四九六円である。

同2(二)は否認する。被告が立て替えた葬儀関係費用は六〇万円である。

第三  証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求の原因1ないし3は当事者間に争いがない。

二  原告は、被告と純勝との間で本件保険契約締結に先立ち、本件保険金は純勝の死亡退職金又は弔慰金として支払うとの合意があったと主張するので、以下検討する。

証拠(甲一、甲三、甲八の一ないし八、乙一、証人毛利八重子、被告本人)及び争いのない事実によれば、以下の事実を認めることができる。

1  被告の経営する布目組の仕事は高所作業が多く、かなりの危険性を伴うものであり、昭和五七年九月には被告の従業員が作業中感電墜落死亡した事故が発生し、被告は親会社の名鉄エンジニアリングとともに右事故の補償のために解決金を支払うこととなり、解決金のうち一〇四七万五〇〇〇円及び弁護士費用のうち四七万五〇〇〇円を分担する結果となった。その際、被告は名鉄の当時の青木専務から「労災のために保険に入ったらどうか」と忠告され、保険に入ることにしたこと

2  被告の従業員は五名であるが、団体定期保険に加入する資格の最低加入人員は一二名(継続基準は一〇名)であって、被告のような小規模な事業所では団体生命保険に加入することができないので、被告の従業員全員に本件保険契約と同種の保険契約をしていること

3  本件保険契約は定期付養老保険に傷害特約、疾病入院特約が付加されたものであって、被保険者の死亡の場合死亡保険金が支払われるが、被保険者の死亡の原因が業務上であるか否かは問わないものであること

4  本件保険契約締結に先立ち、左記の内容の「生命保険契約付保に関する規定」と題する文書が作成され、契約者(事業者)として被告が署名押印したこと、右文書にはさらに「この規定より付保することに合意した被保険者は以下のとおりである」との記載があり、その末尾に被保険者純勝の署名押印がなされていること

(一)  当社は、将来万が一従業員が死亡したことにより当該従業員に対し死亡退職金又は弔慰金を支払う場合に備えて、従業員を被保険者とし当社を保険金受取人とする生命保険契約を生命保険会社と締結することができる。

(二)  この生命保険契約に基づき支払われる保険金の全部又はその相当部分は、退職金又は弔慰金の支払いに充当するものとする。

(三)  この規定に基づき生命保険契約を締結するに際して当社は、被保険者となる者の同意を確認する。

5  定期付養老保険の保険料は税務上、主契約保険料については資産に計上されるが、定期保険料は損金処理が可能であること

三  右によれば、被告が本件保険契約を締結した動機としては、労働災害に伴う補償に備えるためということが大きな比重を持っていたことは明らかであるが、本件保険契約の約款は労働災害の補償のみを目的としたものではなく、「生命保険付保に関する規定」からは、本件保険契約の趣旨・目的が業務上の災害であるか否かを問わず従業員が死亡したことにより当該従業員に対し死亡退職金又は弔慰金を支払う場合に備えるものであることを明記し、それ故、従業員の福祉に寄与するものであることから、税務上も保険料の損金処理を認めるなど優遇していることが認められるので、本件保険契約は主として従業員の福祉を目的としたものであると解することができる。

本件保険契約の趣旨・目的は以上のとおりであるが、本件保険契約の締結に先立って作成された「生命保険付保に関する規定」と題する書面は他人の生命の保険契約締結に必要とされる被保険者の同意を証する書面ではあり、被保険者である純勝が署名押印したとしても、右書面自体によって純勝と被告との間で死亡保険金を死亡退職金又は弔慰金として支払う旨の合意があったとまでは認めることができない。

しかしながら、本件保険契約の趣旨・目的が前記認定のとおりであり、かつ、生命保険契約に基づき支払われる保険金の全部又はその相当部分は、退職金又は弔慰金の支払いに充当することを明示して、従業員に付保の同意を求めているのであるから、当然、従業員の死亡に対し退職金又は弔慰金を支払うことが前提としてされていたとみるのが自然であるから、本件保険契約の締結に際して、純勝と被告との間で、純勝が死亡した場合保険金の全部又は相当部分を退職金又は弔慰金として支払う旨の合意があったと認めるべきである。

四  次に、右合意に基づき、被告が原告に支払うべき金員の性質及びその額を検討するに、本来ならば保険契約の締結に先立ち、事業者は退職金ないし弔慰金に関する規定を整備すべきものであるが、被告には退職金に関する規定がないので、被告が純勝に対し退職金の支払義務を負っていたとは認めることができない。しかし、右合意によれば、被告は純勝の遺族に対し弔慰金の支払義務を負っていると解することができ、右合意自体から具体的な退職金又は弔慰金の額を確定することはできないけれども、少なくとも本件保険金の相当部分を弔慰金として支払うべきであることは明らかである以上、本件保険契約の趣旨目的、支払を受けた保険金額、被告が支払った保険料、保険金に関する税金の額、純勝の被告における貢献度、死亡時の給与その他諸般の事情を考慮して、社会的に相当と認められる額を決定すべきである。

証拠(乙一一、乙一二の一三ないし一五、被告本人)及び当事者間に争いのない事実によれば、以下の事実を認めることができる。

1  純勝は昭和六一年八月四日被告に雇用され、平成二年四月八日まで出勤したが、その後入退院を繰り返し、同三年五月四日に死亡したので、被告における実働期間は三年九か月であること

2  純勝が入院前三か月に被告から受けた給与は、以下のとおりで、平均すると三二万六三三三円(円未満四捨五入)である。

平成二年一月分 三〇万四四〇〇円

同年  二月分 三一万三八〇〇円

同年  三月分 三六万〇八〇〇円

3  被告は死亡保険金一〇〇〇万円を受領したが、保険料として八〇万六八三五円、一時所得税一九七万九五〇〇円を支払っていること。

弔慰金の支払の実情については明らかでないが、相続税法基本通達三―二〇によれば、相続税法上弔慰金の非課税範囲は業務外の死亡の場合は死亡時における賞与以外の普通給与の半年分であるとされていること等を参照して、右認定の被告の事業規模、純勝の勤務期間、当時の給与を考慮して判断すると、死亡保険金に相当する一〇〇〇万円は純勝の弔慰金の額としては過大であるし、右額から保険料及び一時所得税の額を控除した金額をもってしても弔慰金の額としても過大であるといわざるをえない。

しかし、本件保険契約の趣旨・目的は従業員の福祉にあり、それ故に税法上の優遇措置がなされているのであるから、死亡保険金によって事業者たる被告に多額の利得を得させる結果となることも許されるべきではないし、また、本件保険金によって被告が負担した過去の労災補償の補填も弔慰金を減額する理由とはなるものではない。

以上の諸事情に、被告が支払った保険料の額、一時所得税の額等をも考慮すると、純勝の遺族に支払われるべき弔慰金の額は四〇〇万円をもって相当とする。

そして、右弔慰金の支払は被告が死亡保険金を受領した後速やかになされるべきものと解されるので、被告は原告に対し四〇〇万円及びこれに対する死亡保険金受領の日の翌日である平成三年六月七日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。

五  被告が本件保険契約に基づいて、入院給付金を平成二年七月九日に三九万五〇〇〇円、同三年二月二二日に一一万五〇〇〇円、合計五一万円、手術給付金を平成二年七月九日に二〇万円合計七一万円を受領したことは当事者間に争いがない。

しかし、証拠(甲一四)によれば、本件保険契約によって支給される入院給付金及び手術給付金の受取人は被保険者であることが認められる。これに対し、被告は、純勝の治療費を全額負担していたため、原告から被告が右給付金を取得することを承諾していたと主張するが、これを認めるに足りる証拠はないから、右給付金の取得について被告に法律上の原因のないことは明らかであり、また、前記認定の本件保険契約の条項からすると、右給付金の受取人が被保険者であることを被告が知っていたと推定するのが相当であるから、被告は悪意の受益者である。

よって、被告は原告に対し不当利得金七一万円及び内金五九万五〇〇〇円に対する平成二年七月一〇日から、内金一一万五〇〇〇円に対する同三年二月二三日から完済まで年五分の割合による利息の支払義務がある。

六  抗弁について

抗弁1は当事者間に争いがない。香典五万円は弔慰金の一部支払と解すべきである。

証拠(甲九の三、乙四の二ないし一三、乙五の二ないし二〇)によれば被告は平成二年四月二一日から同三年五月一四日までの間に純勝の治療費一三七万一四二八円を立て替えたこと、しかし、被告は高額医療払い戻し金は七九万六四九六円を受領したこと、また、純勝の葬儀費用六〇万円を立て替えたことが認められる。しかし、その余の葬儀費用の立て替えについては、原告の供述と対比して被告の供述は採用しがたいので、乙六の一ないし三によっても認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

したがって、被告が受領した高額医療払い戻し金を控除しても、被告は純勝に対し立て替えた医療費五七万四九三二円及び葬儀費用六〇万円合計一一七万四九三二円の求償金債権を有しているところ、被告が右求償権を自働債権として相殺の意思表示をしたことは当裁判所に顕著である。

なお、前記弔慰金支払債務と不当利得返還債務の二つのうち、債務者である被告のために弁済の利益の多いものは後者の債務であるから、まず、後者の債務の対当額と相殺し、その後に前者の債務と相殺することとすると、後者の債務は相殺によって消滅し、前者の債務の残額は三五三万五〇六八円である。そして、右額から香典分五万円を差し引くと、三四八万五〇六八円である。

七  よって、被告は原告に対し、弔慰金残金三四八万五〇六八円及びこれに対する平成三年六月七日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。

(裁判官青山邦夫)

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